日々の不安を減らすため、自分で暮らしをつくっていく。

最近、自分で暮らしをつくれるようになることを意識している。お世話になっている方から「自分で暮らしをつくれるようになると、普段の生活から不安が減ったよ」という話を聞いてからだ。

自分で暮らしをつくれるようになるということは、日々の生活の中で必要なことやものを自分たちでできる、作れるということだ。炊事洗濯ができるというのはもちろん、例えば自分たちで家具などものをつくれたり、壊れた時に直せるなど、自分たちの身の回りのことが自分たちの力でできる、つくれるということだ。

僕はこの話を聞いて以来、自炊をする機会が増えた。自炊をする中で、お味噌汁の出汁の取り方を覚えた。

DIYをする機会も増えた。
身の回りの家具の修繕をしてみる中で、
障子の張り替え方を覚えた。
庭木を切るために、チェーンソーを使ってみた。
インパクトの使い方も覚えた。

これまでめんどくさくて遠回しにやらなかったことを、少しずつ、少しずつやってみた。すると、これまでの「知らない、やったことがない」が「知っている、やったことがある」にアップデートされ、少しだけ心に余裕が生まれた気がする。

3月に、僕は新潟県で雪上キャンプに参加した。2泊3日、雪山にこもって、何もないところから自分たちの寝るところ、食事をするところ、調理をするところ、トイレ、水の確保など、あらゆることをゼロから作った。

まずは寝るところ。比較的平らな場所を選んで、ふかふかの雪を踏みならして、地面を固定する。そしてそこにテントを張る。このとき、出入り口には穴を掘っておく。こうすることで、冷気が穴にたまり、テントの中が少しだけ寒くなくなるのだ。

次は焚火場だ。

これも、まずは雪を踏みならす。そのあと、雪をシャベルで掘り進め、イスの形にする。中央は焚火台が置けるように少しだけ高くする。周りの木も使って、屋根のブルーシートをかける。こうして、みんなで焚火をしたり、ご飯を食べるスペースができあがる。

焚火ができるようになると、鍋に雪を入れて溶かして、生きるために必要な水が確保できる。トイレは、人目につきにくい場所に穴を掘れば完成だ。用を足した後は、雪を上からかけるだけ。トイレットペーパーはいらない。天然の雪を使えばきれいにできる。

何もないところから、生きるために必要なシェルターと食事と水が確保できた。
何もないところでも、あるものを使って生み出せるということを知った。

他にも、動物の足跡の見分け方や、杉の葉を使って食器を洗ったり、火おこしをする方法も学んだ。雪山には何もなかったけれど、あるものを使えばなんでもできる。必要なことは周りのあるものの扱い方を知ることだ。

扱い方を知り、実際にやってみることで、少しだけ僕の心から不安が減った気がした。

自分が知っていること、できることが増えれば心に余裕が生まれ、不安が減る。そこには「安心の獲得」があると僕は思う。安心の獲得の話をする前に、安心とは何かという話をしておきたい。

「安心」と親しい言葉に「安全」がある。どちらも似ているが、中身は少し違う。編集者の佐渡島庸平さんは、著書の中で安心と安全の違いについて、以下のように述べている。

「安全は、場所やモノに紐付くことが多い。『東京は安全な街だ』『ハサミは子どもが使ってもナイフよりは安全だ』。(中略)安心には、人の心理状況が紐付いている。『東京は安心な街だ』という場合には、発言者の意見だというニュアンスが入ってくる。安全は客観的事実を基にしている。安心は、心理状況を表している。」

21世紀の日本は、多くの人にとって生きる上での安全は確保されているのではないだろうか。電気水道ガスなどのインフラは日本中に整備されている。治安だって悪くない。しかし、安全があっても、安心がないケースはある。僕は、大学進学を期に、地元の関西から上京してきた。初めての一人暮らし。住んでいたアパートは安全ではあったが、独りぼっちは不安だった。

そんな時、少し体調を崩したりすると非常に心細く、とても不安で仕方がなかった。これまで、頼れる家族がすぐそばにいたことが、自分の安心にどれだけ関係していたかということに気づいた瞬間だった。

風邪を引いたらどこの病院に行けばいいのだろう。
水道やガスにトラブルが起こったときはどうしたらいいのだろう。
急にエアコンがつかなくなったら誰に助けを求めればいいのだろうか。

こうした不安は、少しずつこちらの生活に慣れてくるにつれ、徐々になくなっていった。東京にも頼れる人ができ、街のことにも、生活のことにも詳しくなり、いざというときにどうしたらいいかがわかるようになったからだ。

「わかる」「知っている」ということは、「いざというときに何とかなる」と感じられることにつながるのではないか。いざというときに何とかなると感じられるのは、これまで知らなくてできなかったことが、できるようになることで、できない不安が小さくなり、できるからこその安心感が生まれているからだと考える。つまり、新しいことを知る、できるようになるということが、安心を獲得させるということだ

このことから、僕は自分にできることを少しずつ増やすことが、暮らしの中での安心の獲得、つまり普段の暮らしの中に潜んでいる不安を減らすことにもつながると感じている。

例えば、普段から料理を覚えていれば、外食の手段がなくなったときでも(もちろん他の手段もあるが、)食材を買ってきて、自分で食事をつくることができる。工具の使い方を覚えれば、家具が壊れた時には自分で直せばいいやと修理ができる。業者を呼んだり、新しい家具に買い替えたりする必要もないかもしれない。

現在、我々は人類が直面したことのない危機と対峙している。この事態が収まったあとも、どんな未来が待ち受けているのかわからない。

変化の激しい現代の中では、不安を感じることはたくさんある、と僕は思う。だからこそ、少しずつ、少しずつ、自分でできることを増やして、自分で暮らしをつくれるようになりたい。そうすることが、日々の中での不安を減らし、安心につながると考えるからだ。

これからも新しいことを調べてみたり、挑戦してみたりすることを大切に、日々を過ごしていきたい。

【参考】
佐渡島庸平(2018)「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ」幻冬舎。

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