学生と社会人と、これから

〝学生〟と呼ばれなくなってから早3年。
私はまだ何も成し遂げてもいないし、何か社会に貢献したと胸をはれるようなことはない。どちらかといえばシューカツには後ろ向きだったし、何かと理由をつけてサボっていたほう。ぶっちゃけ、私は何者かになりたいわけではなくて、好きなことだけしていたいわけでもなくて、ただ〝私らしく〟を突き詰めて満足のいく人生を送りたいだけ。そこの神経が研ぎすまされている、なんともめんどくさい部類の人間だという自覚はしている。

1日は24時間、1年は365日しかない。寿命は80年が平均で、上手くいけばそれ以上、けれども、もしかしたら明日この世とサヨナラしなくてはいけないかもしれない。そんな中で80年も生きられるからと胡座をかくことが、なんてリスキーなことなのか。正確な人生のリミットは誰にもわからない。それはいつの時代も変わらない事実だけど、自覚しているか・していないかは大きな違いになって自分に降りかかってくると思う。

もしあなたが余命1ヶ月の宣告をされても、今の仕事を続けられますか?仕事と趣味の境界線が混ざり合って、マーブルになる。全てはそこに集約するというのが、やっと言語化できた私の考えだ。

自分に素直になる勇気

学生のキャリア支援を謳っているファイアープレイスにいる私だけど、正直にいうと、私自身は就活に前向きな学生はどうしても遠巻きにしてしまう。

なぜか。
みんながみんな同じではないのだろうけど、卒業したら就職する、という一つのレールしか見えていない場合が多いから。違和感を感じることがあるはずなのに、そんな自分の声をどこかで無視して自由を羨ましがる人が多いから。羨ましがるくらいなら自分がしたいようにすればいい。だけど、周りのフリーランスや経営者をみていても、キャリアもスキルもなくフリーで模索している私自身でも実感することは、〝就職すること〟よりも〝自由でいること〟の方がかなりツライ。

好きなことをやり続ける、もしくは世の中の誰かから認めてもらうための裏側には、自ら描いたゴールに貪欲にしがみつく姿が必ずといっていいほどある。自由への犠牲は側から想像するよりも、はるかに大きいのだ。

私がそのツライ選択肢である〝自由でいること〟を選んだのは(まだ上手くいっていない部分もたくさんあるわけだけど)、やっぱり自分らしくいられるのはここだと信じているからなわけで、他にもっと良い手段が得られるなら是非ともそちらでお願いしたい。もしパトロンがついてくれるなら迷いなくYes!だろう。少し話がずれたが、自分がやりたいことへのアプローチが就職という一つに限られてほしくない。ここが広まることがこれからの働き方のターニングポイントなのかもしれない。

〝これから〟の世代

そんな私が先月、社会人と学生が混じり合う1泊2日のキャンプイベント・星空未来キャンプに参加してきた(星空未来キャンプの詳細についてはさとるさんの記事へ)。

このキャンプに運営とも、学生とも違う、真ん中の立場から参加した私が勝手に感じたメインメッセージは、起業へのプロセスの学習でも、新しいカタチの会社説明やアピールでもなく、学生・社会人問わず自分が本当は何がしたいのかという再確認の重要さを知ることだった。自分らしく在ることができる場所を作るために道を切り拓いた社長4人がトークを繰り広げる1日目の夜。2日目の自己紹介のバージョンアップを図るワークショップ。どちらの場でも学生たちは就活の不安や将来への悩みを仲間や大人たちと語り合っていた。

知ろうとしなければ知ることができない。情報がありあまる中で自分が知りたいことに積極的な学生たちをみて、少なくとも彼ら彼女らはシューカツという1本道に立っているわけではないのを感じた。私が思っているよりも、考え方や生き方はめまぐるしくシフトしていってるんじゃないか。そんな、階段1.2段すっ飛ばしたような、気分になれた。

こうした新しい生き方と題さずに、ふんわりとそれについて考えて語って自分の歩く道をちょっと修正する。そんな学生・社会人問わずのイベントがこれから多くなっていってほしいと願うこの頃です。

何より個が大切にされていくであろう〝これから〟。
学生も社会人も、大差なんてそうないものだと思う。見極める目や、ずる賢さとか経験値がちょっと違うだけ。もちろんそれってすごく大切だし、必要なものだけど。世間のよくわからないルールや人間関係に慣れることが社会人ではないっていうこと。純粋な感覚を失わず、自分らしく生きられる人が増えて、世界が少しずつ変わっていってほしい。短い人生、好きなように生きようよ。

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